人類の歴史と共に歩んできた占い師

インターネットサイトで”占い師”と検索すると、膨大な数のウェブサイトが検索結果に表示されます。内容は有名な占い師さんのサイトからちょっとした占いのブラウザゲームまで実に様々です。書店では占いに関するいろいろな書籍が販売されています。テレビなどマスメディアでも占いコーナーが人気を博しています。科学全盛の現代日本社会でも占いは根強い人気があり、多くの人々が親しみを感じていることがわかります。確たる科学的根拠があるわけではない、悪くいえば前近代的でオカルトチックな占いが何故これほどまでに支持されるかを考えると、実際に当たるから、当たった経験があるからという経験や人類が古代から占いと共に歩んできた長い歴史にあるのではないかと思います。
占いは世界中のありとあらゆる場所で多様な発展を遂げてきました。その歴史はとても古く、紀元前17世紀から紀元前1046年まで中国大陸で栄えた殷王朝の占卜(せんぼく)がよく知られています。占いたい事柄を亀の甲羅に刻み、予め裏側に開けておいた小さな穴に金属の棒(青銅製と伝えられています)を挿しこみ、表面に生じたひび割れの形で答えを導き出しました。この甲骨に刻まれた卜の字が最古の漢字なのだそうです。このような占卜は、紀元後2世紀から3世紀頃に倭の国を治めていた邪馬台国の女王卑弥呼も行っていたとされています。卑弥呼は女王であり占い師でもありました。殷王室や邪馬台国では、収穫や祭事全般、軍事戦略・戦術に至るまで万事が占卜によって決められていました。古代においては、占いは国政を左右する重要な儀式であったと言えるでしょう。
また日本では神道に太占(ふとまに)と呼ばれる占卜があります。太占は古代日本で行われていた占卜のひとつで、獣骨(主に鹿の骨)を用いて占いを行いました。鹿の骨を使うことから鹿占(しかうら)とも呼ばれ、現在でも東京都の武蔵御嶽神社や群馬県の貫前神社で行われています。
さらに人類の歴史を遡れば占星術(占星学)に行き着きます。占星術は、太陽系内の太陽・月・小惑星・惑星の天体の位置や動きなどを人間社会の在りようと結びつけて未来の動向を探る占いのことです。古代バビロニアの大規模な天体観測が起源であるとされ、後にギリシア、インド、アラブ、ヨーロッパ、中国に伝わったと言われています。
占いは自然科学とかけ離れたものですが、今日でも社会の変化をくみ取り、古典的な技法の上に独自の解釈を組み込むなど発展を続けています。長い歴史の中で密接な関係を紡ぎあげてきた人類と占いは、これからも共に歩んでいくことでしょう。

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